大会当日。
コテスロービーチは日も空けてない4:00頃、真っ暗の状態から大勢の観客と選手、スキッパーと呼ばれる船、パドラーと呼ばれるカヤックであふれる。
オーストラリア人はとてもマイペースな人が多く、定時に集まることが少ないといわれるけど、イベントに関しては別。どんなに早くてもピタッと始まる。
オレが出る区分は8:00出発だったけど、ミィーティングでは、パドラーと7:30にミートする予定だった。
一緒に日本から出場するチームが、30分前の区分でスタートする予定だったので、見送りをするため、少し早くビーチに下りた。
絶句
どこからこんなに人が・・・
どこからこんなに船が・・・
写真ではその状態をあまり想像できないが、すでにスタートした別のカテゴリーの選手や500隻を越えるスキッパー、同数のカヤック、ライフセーバーが沖で待機している。
映画のワンシーンを見ているようだ。
ガイドの方と一緒に行ったのだけれど、しばらく言葉が出なかった。
今回、ソロでの出場も可能性はあったけれど、練習不足は否めない。しっかりトレーニングをして調整してこないと、とても立ち向かえるような距離ではないので、今回はこの海峡を、年齢を足し算して150才以上になるカテゴリーにエントリーした。4名の選手でチームを組むのだが、大貫さんを通じて顔が知れたメンバーである。
とくに男性の関根さんとは下田合宿で何度もお会いしている。
約束から10分ほど遅れてパドラーのジョシュが到着。
やっぱりオーストラリア時間[E:coldsweats01]
190cm以上ある大柄で無口な彼。
これから1日過酷な時間を共にする。
4名のうち、オレが最年少ということもあり?!・・・一番距離を泳ぐ第1泳者に選ばれた。
以降のメンバーは2時間前に第1中継ポイントである1500m先で待っている。
この後は自分が泳いでいるので、大貫さんが撮影。
ものすごい感動が押し寄せ、なぜか全く緊張しなかった。
スタートラインに行くと、sherryがオレを見つけてくれて、声をかけてきてくれた。
写真では分かりにくいけれど、178cmのオレが小さく見えるほどオージーはでかい。
「今日はとてもいいコンディションでよかったね!スイミングを楽しんで!」
の後に日本語で
「ガンバッテ!」
と笑顔で言われる。
そうね、楽しまなきゃ。
力がいい具合に抜ける。
GPS上では22kmの海峡を横断するレースのスタートだ。
この時点ではすでにオレがどこに入るのか分からない。
オープンウォータースイムというのは、ただ早く泳げればいいのではない。経験とメンタル、エネルギーコントロール、サポーターの力など様々な要素が必要になるスポーツだ。
第1泳者はパドラーと合流後、まず1500m以上泳がなくてはいけない。スキッパーが1500mラインより岸に入れないからだ。
しかし、後発のカテゴリーでも数百の中から、自分のボートを見つけるのは難儀だ。
結局2.2km付近まで泳いで2泳と交代。
その後4人が20分づつ交代でゴールを目指す。
リレーは都度ハイペースなので、2回目をあがってすでに肩がパンパン。
しかもロットネス島が見えてきてからが長い・・・。
最後はスキッパーが離れてパドラーとだけ泳ぐので、タイムを計測するチップをつけているオレが泳ぐことになり・・・残り2kmを泳いだのを合わせて6回目。
ラストスイム!
ゴールが見えないのでこれが辛い。
20分で約1kmづつ泳いだので、最初から数えると8kmくらい泳いだのかな。
リレーは人のペースにも合わせないといけないからチームワークが大切なことが良く分かった。しかし、補給や距離の管理など他の選手からもとても気を使ってもらい、一人で泳ぐよりもとても楽しくその後の結束も固い。
練習不足や初めての海で戸惑いもあったが、チームの力によって見事完泳できた。
正直こんなに楽しいものだとは思わなかった。
風や潮の流れにむかい8時間52分。
人間は泳ぐ動物なんだということを実感した1日だった。
海水で顔がむくんでら。
おれ達が到着して表彰式がはじまってまもなく、最終ソロスイマーが到着した。
12時間以上一人で泳ぎ続けたスイマー。
コメントのしようがない。
1000人を越える参加者があったこの大会。
表彰式はコンサートのように盛り上がり、ものすごい歓声が上がっていた。
自然の中で生きることの難しさや厳しさを、まさに肌身で感じた。人間は海の中では本当にちっぽけだけれど泳ぐ動物であること。
日本人が海になれ親しんでいるようであって海と交わる機会が少ないこと。
日本で海の事故が多い理由。
スポーツをする理由。
勝負というのは勝つだけではなく、もっと大切なことを感じられる素晴らしい活動であることを学んだ。
ロットネスはとても遠く、過酷なレースだ。
でも来年も是非来たい。
そう思える。
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