2018年4月7日土曜日

大相撲の伝統か男女平等か


大相撲の春巡業は4日、京都・舞鶴市で行われ、興行中にハプニングがあった。 舞鶴市の多々見良三市長(67)が、土俵上であいさつ中に体調を悪化させて倒れた。医師と見られる女性がいたため、土俵上で心臓マッサージが行われた。ところがその際、女性は土俵から降りるようにとの場内アナウンスがあったという。 大相撲において、女性が土俵に上がることは禁じられている。しかし、観戦者らからは、このアナウンスに疑問の声が挙がっている。 巡業は、舞鶴市の市制施行75周年を記念して行われていた。

日刊スポーツ[2018年4月4日23時26分]




これはジェンダー問題なのか?
ネットやニュースで評論家が、


「相撲界のこういうところが嫌い」


とか、ここぞとばかりに
ホントここぞとばかりに叫ぶ。


そもそも大相撲は神事なのかスポーツなのかという点にまで議論は掘り下げられ、結果が出ない議論は延々と続く。


長年大相撲を取材してきたという女性記者はまたここぞとばかりに叫ぶ。
長く大相撲を見て来たのであれば、なぜそこに食いついていくのか全く意味がわからない。



今回の件で最も悪いのは、救命のために土俵にあがった救助者ではなく、興行ビジネスとしてのリスクマネジメントができていない点にある。

緊急時にどのように対応すべきなのか、運営側が予測していなかったことが起き、大相撲の歴史を頑なに守る関係者がそれこそマニュアル(しきたり)通りに言葉を発した。
事が終わり、土俵に塩をまいた点もマニュアル通りなのである。


これが良いと擁護するわけではない。
でも、大相撲ではこれが常識で、それ以外知らないのである。


大相撲の土俵に女性を上げるか否かについては、大相撲の歴史を保存すべき公的な機関が、もう少し議論すべきことで、まったく関係のない評論家や個人がどうこう言うべきではないと思う。


なぜならば、土俵に上がっている力士や呼び出し、行事など大相撲の神事に携わる関係者は、1000年以上もつづくしきたりを守ることに命をかけているからだ。

大相撲 神事 に対する画像結果


今回もふくめて、大相撲関係者は常識がないとか、融通がきかないとかいう人がいるけれど、大相撲の土俵を作るところや、土俵祭りと言われる厳粛な神事を執り行うところを見たことがある人ならば、やすやすとジェンダー問題だとか、女性が土俵に上がれないことに対してい嫌悪感をもつなどというコメントを出さないと思う。


神社や仏閣でも、宮司や僧侶は、信仰の使い手としてしきたりや作法を厳格に守り、その資格がないものや汚れたものを立ち入らなせないように施す習わしがある。


大相撲以外でも歌舞伎や宝塚歌劇団だって歴史を守り、男女の区分けをしている。


大相撲を神事だというと、八百長だとか余興だとかいう人がいるけれど、大相撲は命がけである。

たとえそれが気が抜けていたとしても、全力でなかったとしても、余興だからなんてことを思って相撲を取っている力士はいないと思う。




では相撲は競技スポーツなのかという点について。


これは体育はスポーツなのかという点と同じである。
そもそもスポーツとはレクリエーションが発祥で、労働者が労働意欲や活力を再活性させるために行われる活動なのであるから、相撲の歴史からみれば競技スポーツであっても、

「大相撲は神事として執り行う日本初のプロ競技スポーツである」


と僕は考えている。


だから男女の差別ない競技スポーツとして議論するのであれば、現在世界中で行われている競技スポーツとしての相撲をもっと知ってもらい、男女ともに熱戦した取組が行われていることに着目してほしい。


そして、毎場所大勢の観客が観戦する国技大相撲の立ち位置を今の時代に合わせてどう定義づけるのかについては、他国同様「伝統的な祭典を歴史として残すこと」を前提に議論してほしいと思う。



あくまで個人的な意見としては、

「土俵は神域であり、力士、呼び出し、行事、親方以外上がれない」


という、男女ではなく神に仕える者のみ入れるという考えに変えた方が良いのではないかと思う。


男女関係なく、表彰式もしかり、命をかける土俵に下足であがるのは間違っている。

野球だってゴルフだってラグビーだってスポーツは何でも、関係者にとって競技場は神聖な場所であり、下足で入ることはできないのだから。


ブログランキングに参加しています。
よろしければポチッと押して下さい(^^)

にほんブログ村 その他スポーツブログ スポーツトレーナーへ

0 件のコメント:

コメントを投稿