2018年3月15日木曜日

モンゴル人アスリートはなぜ強いのか-1 Монголын тамирчид яагаад хүчтэй байдаг вэ-1

Монголын тамирчид яагаад хүчтэй байдаг вэ
モンゴル人アスリートはなぜ強いのか


Vol-1



2014年から大相撲第71横綱鶴竜関のトレーナーを務め、日々彼と接することで、モンゴル人特有の気質や身体特性がスポーツ、特に格闘技に対して他国よりも優位にあるのではないかと感じるようになった。

鶴竜関をはじめ多くのモンゴル人、力士、アスリートと接して感じたこと、そして実際モンゴルに行き体感したことなどを記録としてまとめ、公開することでモンゴルとわが国の親善、そしてアスリートの育成に寄与することを目的とする。

この記事は筆者が2016年筑波大学大学院人間総合科学研究科スポーツ・健康システムマネジメント専攻修了時、修士論文として提出した「モンゴル出身力士の成長期の特性と競技力との関係について」2016八代直也を参考に作成した。

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モンゴル人はなぜ強いのか



1-1 モンゴルとは
モンゴルと日本の関わりは古く、歴史的には鎌倉時代の元寇:文永の役にまでさかのぼる。
元寇(げんこう)とは、鎌倉時代中期に、当時中国大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)、高麗王国によって行われた2度の日本侵攻である。正式には1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。

19世紀は清朝の支配下にあったが、1911年辛亥革命により中国(清朝)より分離、自治政府を樹立。1924年にはモンゴル人民共和国となって社会主義路線を取るようになったが、1992年に社会主義を放棄しモンゴル国となり現在に至っている。

その直後、政治、経済、社会全般に大きな混乱を呼び起こし、年間インフレ率がピーク時(1992年)には325%に達したほか、極度の物不足となり深刻な経済危機に陥った。
その後、モンゴルは我が国を中心とする各国からの経済協力や国際通貨基金(IMF)などの国際機関の指導・助言のもと、大胆な自由化・構造改革を推進し、国営企業の段階的な民営化やその総決算としての土地私有化などを順次実施している。


現在のモンゴルの行政単位は、首都のあるウランバートル市の他、21の県(アイマク)、県下には347の郡(ソム)さらに郡下には1、681の村(バグ)が配置されている。2015年現在の人口はおよそ306万人で、首都ウランバートルにはその約4割強の136万人が一極集中し各郡の人口は3、000人程度といわれている。

地理的には、北はロシア、南は中国に挟まれた位置にあり、東アジアの北西部に位置する面積156万平方キロメートル強の国である。

国土の西には標高4、000メートル級のアルタイ山脈と標高3、500メートル級のハンガイ山脈が展開し、東には標高1,000~1,500メートルの高原、北東には針葉樹林、南にはゴビ砂漠が広がる。


国土の5分の4を牧草地として利用する草原が占めており、その環境下で営まれる遊牧民の生活形態や移動式住居ゲル、馬乳酒などは日本でもよく知られている。


国民の多くはモンゴル系のハルハ族で占められ、歴史的な関係性からもチベット仏教が主たる信仰(社会主義時代は衰退していたが民主化(1990年)以降に復活。1992年2月の新憲法は信教の自由を保障)となっている。



1-2  モンゴル出身力士の歴史
大相撲における外国出身力士の歴史は、1934年にアメリカ・ロサンゼルス出身の日系二世である平賀将司が出羽の海一門の春日野部屋に入門したのが最初とされる。

また、同じくアメリカ・コロラド州出身のハーリー尾崎喜一郎が1938年に豊錦という四股名で初土俵を踏み、1943年に十両に昇進し、外国出身力士として初の関取となった。

その後1968年にアメリカ・ハワイ出身の高見山(Jesse James Wailani Kuhaulua/現在は日本に帰化し渡辺五郎)が外国出身力士として初めて幕内力士に昇進したのを皮切りに1986年には小錦(Saleva'a Fuauli Atisano'e/現在は日本に帰化し小錦八十吉)が大関に昇進、1993年3月場所では曙(Chad George Haaheo Rowan/現在は日本に帰化して曙太郎)が、外国出身力士初の横綱に昇進するなど外国出身力士の活躍が加速していく。

一方、モンゴル人の身体能力の高さを評価していた大島親方(元大関・旭國斗雄)は1991年にモンゴルで新弟子公募を行い、170人の参加者から選ばれた6名の合格者が、翌年3月に初土俵にあがっている。

その中の一人である旭鷲山は「技のデパートモンゴル支店」のニックネームで投げ技、引き技、足技など多彩な技を駆使して小結まで昇進、旭天鵬と一緒に来日した旭天鵬が、2012年に37歳の最年長記録で幕内優勝を果たしその後関脇まで昇進している。

彼らの後を追って入門したモンゴル出身力士の活躍は目覚ましく、2003年に朝青龍、2007年に白鵬、2012年に日馬富士、2014年に鶴竜が4代続けて横綱に昇進している。

日本相撲協会によれば、2016年9月場所までで、累計184名の外国出身力士が誕生し、国別の人数(()内は関取昇進人数)はモンゴルが57名(32名)、アメリカ合衆国31名(8名)、ブラジル16名(4名)、大韓民国12名(3名)、中華人民共和国12名(3名)、台湾11名(1名)、在籍人数及び大関、横綱への昇進割合などを見れば、モンゴル人力士の活躍が突出していることがわかる。







 1-3 モンゴル出身力士の強さの要因
小錦や曙などアメリカ出身力士は、体格的に日本人力士よりも優っており、その利点を生かして活躍していた点も見受けられたが、モンゴル人力士は日本人力士と比べても小柄な者が多く、俊敏で粘り強い取り口が特徴である。

この俊敏で粘り強い相撲は何によって培われたものなのであろうか。



モンゴル人力士の強さの秘密は、幼少時から日常的に飲む馬乳酒によって作られる『骨太な体』自転車代わりに馬に跨り、草原を走ることで身に付く『体のバランス』

相撲は相手のバランスを崩す競技だが、幼い頃から裸馬を乗りこなすモンゴル人は自然に体の均衡をはかれる身体能力が培われるという

幼少期におけるモンゴルの生活習慣が相撲に合った身体を培ったのではないかと推測している。




また、日本の伝統的格闘技であり、古いしきたりを重んじる相撲界で外国人が成功を収めるには、高い順応性やストレス耐性の強さなどが求められると思われるが、モンゴル人力士は入門した57名中32名が関取にまで昇進するなど、他の国から入門した力士と比べても出世する割合が非常に高い。


幼少期に培われた身体的な強さだけでなく、それらを勝利に結びつける強い精神力も備わっているように見える。


白鵬(2010)は著書の中で「不自由なく育った」「箱入り息子」と語るなど、比較的裕福な家庭で育ったと語っているところから、彼らの精神の強さをハングリー精神という言葉で短絡的に説明はできない。

八木橋(2016)によれば、現在のモンゴルでは柔道やレスリング、サッカーなどスポーツの選択肢が広がってきてはいるものの、モンゴル相撲(モンゴルでは「ブフ」と呼ばれているが、モンゴル相撲で統一する)は、幼稚園から大人まで毎週のように大会が開かれ、他の競技と並行して競技を行う者もおり人気は高いと報告している。


モンゴル相撲は、モンゴルにおいて祭事に伝統的に行われた格闘技である。
日本では「相撲」という呼称がつけられているものの、土俵や時間制限がないなど日本の大相撲とは差異がある。




土俵が存在せず押し出しが無いことで多くの投げ技があることが特徴で、試合も長時間に及ぶこともあって体の大きさや力だけでなく、スタミナも必要とされる。


幼少期からモンゴル相撲を経験しているであろうモンゴル出身力士はその経験から、基礎となる身体能力や体力を培ってきたのではないかとも推測できる。


モンゴル人はなぜ強いのか-2につづく。
次回お楽しみに。



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