2018年3月17日土曜日

モンゴル人アスリートはなぜ強いのか-2 Монголын тамирчид яагаад хүчтэй байдаг вэ-2



Монголын тамирчид яагаад хүчтэй байдаг вэ-2
モンゴル人アスリートはなぜ強いのか

Vol-2



はじめてこのページを見た方は、モンゴル人アスリートはなぜ強いのか-1から読んで頂くとわかりやすいと思います。


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2015年、モンゴルのことを調べ始めたころ、相撲界というあまりオープンではない世界であることもあって、モンゴル人力士を調べた先行研究が乏しく、結局一から調べるほかなかった。

モンゴル人の書いた論文のほとんどがチンギスハンや、モンゴル人としてのアイデンテティに関することで、どれだけモンゴル人が、自分の国と血に誇りをもち、関心を抱いているかがとてもよく分かった。

僕は日本で生まれて国籍も日本であるが、実は近縁にモンゴル人の血が入っており、彼らと接していても、実際モンゴルに行った時も、何ら違和感がなく、言葉も分からないのに、なんとなく懐かしいというか、第二の故郷にいるような不思議な感覚にふれたことを覚えている。

先述とおり、「なぜモンゴル人アスリートが強いのか」を明らかにすることは、単に「モンゴル人で凄いんだぜ!」ということではなく、他国の秀でていることを学び、そして活用することで相互作用が生まれることが今回の目的であったので




だったら、彼らの生い立ちについて直接聞くところからはじめようと思いたった。





モンゴル人は短気でせっかち、どちらかというと協力して何かを成し遂げるスタイルは得意ではないという。
しかし、強烈なインパクトのあるカリスマがいると命をかけてついていくという気質があるのも特徴である。


また、モンゴルは古来から文字を書くという習慣が一般的でなく、会話が主だったコミュニケーションであったことから、未だに



「先ずは会って話そう」




ということになる。
そして、信用を得る、信用しているという行動の一つとして、自宅に招く、招かれるという習慣があることがわかった。

鶴竜関は、合宿中もふくめ僕の家族と寝食をともにし、モンゴルへ行ったときにも彼の自宅へ招かれるなど家族でお付き合いさせてもらう関係である。

また、鶴竜関からご縁を頂き、現役の力士や友綱親方(元旭天鵬関)をはじめ、多くのモンゴル人力士にインタビューをさせてもらった。

一様に、彼らはフレンドリーで、自分の生い立ちからモンゴルに来たこと、ことモンゴルのことになると夢中になって話してくれ、いつも予定の倍以上の時間を割いてくれた。
全て鶴竜関の信用における計らいだと思い深く感謝している。





2-1 モンゴルのスポーツ文化

井上(2013)によれば、モンゴルは馬頭琴を奏でながら神話等を吟じる口承文芸が盛んな地でもあり、そこで語られる英雄叙事詩の中の勇者は、相撲、競馬、弓射の「三種の競技」(「エリーン・ゴルバン・ナーダム」男の三種の競技)で勝利することで英雄になることが定番という。

また、三種の競技はそもそも天に競技を奉納する儀礼を起源とするなど、現代のモンゴルの人々の基本的な心性に引き継がれているとのべている。

また、モンゴルの伝統的スポーツといえばモンゴル相撲と思われがちであるが、モンゴル伝統の相撲、競馬、弓射の「三種の競技」は地域性、儀礼性を特徴とし、一般的に近代スポーツよりも古い起源をもつ「ナーダム(遊び、競技)」とし、近代スポーツはロシア語を援用したかたちで「スポルト」と呼び分けられているなど、近代スポーツとは別の定義を持つものであった。

また、モンゴル人としてモンゴル相撲の研究をしたバダム・フレルバーダル(2009)によると、「ナーダムにおけるモンゴル相撲の取組みに関する行事は、法に規定されている。

「ナーダム関連法」には、民族的な大祭ナーダムはモンゴルの独立自立のシンボルとなる伝統的な祭りであると定義されている」という。さらに、「その基本的な目的は民族的な相撲の安定した発展の基礎を創ることである。

そのために民族相撲の伝統的な要素を保護しながら発展させ、若い世代の力士を育て、民族相撲を国内世界中に宣伝し、紹介することである。」とモンゴル相撲の存在価値などについて述べるなど、モンゴル相撲は民俗的要素が大きいことがうかがえる。

モンゴル人民共和国は1990年に社会主義を放棄して、1992年に新憲法が施行されモンゴル国と改称された。


民主化後は「モンゴル相撲に賞金制度が導入され、これまでナーダム祭が年に一度の大きな競技の機会であったものが、毎週末に賞金試合を行うようになった。」「1997年には「ブフ(力士・相撲)・リーグ」が開催されるようになり、100を超える企業がスポンサーとなり企業が力士を抱えるようにもなった」と述べるなど、モンゴル相撲が生活の糧となり、プロ化していったことを示唆している。 



このように、民主化以降、「モンゴルの象徴ともいえるべき伝統的な祭りの競技」と定義されたモンゴル相撲は職業となった。


職業ともなれば、強くなるために更に鍛錬や稽古を積む力士が増え、西洋的な筋力トレーニングや戦略、昨今ではドーピング検査を取り入れるようになるなど、急速なプロスポーツとしてグローバル化が進んでいったのである。


民主化と同時に発展を遂げたのは伝統的なスポーツばかりではない。井上(2015)の報告によれば、民主化後、一気に欧米の文化を受け入れ、スポーツジムも市内中心部に次々に出店し、高額な入会料にもかかわらず経営が成り立っているように見受けられる、若者に最も人気のあるスポーツはサッカーとバスケットボールであるなどと述べるなど、ライフスタイルの中にも欧米のスポーツやフィットネス文化が入り始めていることが伺える。


そして、民主化により、モンゴル国内で日本の大相撲をテレビ視聴する機会が生まれた。前説の通り、民主化直後に日本へ渡った数名のモンゴル人が先駆者となって、大相撲を席巻し、現在の活躍に至っている。現在は外国出身力士の受入れ制限のため、空席待ちの状態であるが、大相撲で活躍した英雄らに憧れ、大相撲を目指す少年らが絶えないという。


モンゴル人初の横綱となった朝青龍はインタビューの際、モンゴルの相撲人気について「モンゴル人にとって日本の相撲は、日本人の野球選手が米メジャーリーグに抱くアメリンカンドリームのような憧れ」「モンゴルの少年たちにとってジャパンドリームなんです」と語っている。


また、社会主義時代に旧ソビエト連邦から伝わっていたレスリングや柔道も、民主化によって日本をはじめとした海外交流や国際試合への参加が進み、幼少期からモンゴル相撲に親しんできた子どもたちの多くが、スポーツとしてレスリングや柔道をはじめ、柔道では2008年北京五輪でナイダン・ツブシンバヤル選手が金メダルを獲得し、翌年の世界選手権では、ハシュバータル・ツァガンバータル選手が世界チャンピオンとなった。




彼らの功績は国を挙げて称えられ、モンゴルで初めて金メダルを獲得したナイダン・ツブシンバヤル選手には、緊急大統領令として同国で最高の栄誉とされる「労働英雄賞」と、顕著な成績を残したスポーツ選手に授与される「スポーツ功労賞」を同時に授与されている。


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